先日京都旅行に行ってきた。だらだらと書いていたら一ヶ月経ってしまいそうだ。
まわった順番はこんな感じ。移動手段はレンタサイクル。
1日目 三十三間堂→養老院(血天井)→高台寺→霊山→南禅寺→哲学の道
2日目 上賀茂神社→相国寺→天下一品→寺田屋
それでは一個一個詳しく書いていきます(誰に頼まれるのでもなく)。
■いきなり傘を買わされる
京都駅につくと雨が降っていたので、PORTAという地下街で折り畳み傘を買って地上に出たら、雨はやんでいた。いきなり出し抜かれる。でもレンタサイクルを借りる予定だったので止んでほっとした。
■三十三間堂は団体さん
ここは同じ形をした仏像が千個あるのだ。だから団体さん。でも顔は全部違うらしい。そして修学旅行で訪れるの定番の場所っぽいのだ。だから見るほうも団体さんなら、見られる方も団体さん。これだけ沢山同じものを作るのは相当大変だっただろうな〜と思いながら見ていたらひらめいた。これはきっと仏像を造る学校があってそこの生徒が卒業制作に造っていたのではないか。あとここの廊下はで武蔵さんと吉岡さんが戦う舞台として有名ですが、あれは吉川さんによるフィクションだそうです。
■血天井は血液センターの隣
この血液センターの矢印の方向へ行くと「血天井」として有名な養源院がある。なんとも皮肉な話。血を流して死んでいった武士を弔う寺の隣に現代の血液センターがあるとは。
ここは甚平みたいな和服を着た若い女性がなんと一人で受付と説明係をしている。だから説明中に客が来ると中断して受付に行ったりして大忙し。ちょっとかわいそう。この寺には伏見城でお留守番していた武士達が攻め込まれて、やむなく切腹した跡が残っている板を天井に使っていて、長い棒で示して説明してくれるのだが、「こちらが胴体でございます。鎧をお召しになっておられまして、足をまっすぐ伸ばしておられます」という具合に尊敬語を使って厳かな雰囲気で説明しておられた。
■信八の拝観は緊張した
次は信八へ行った。ここでは湯葉を見学した。白米や豆腐も見学した。見学した後は食べても良いとのことだったので、迷わず食べた。拝観料は1600円。ちょうどお腹がすいていたのでランチ代わりになった。ていうかお食事処だったのか、ここ。旦那が無口、おかみさんは無愛想。客は他になし。ちょっと緊張した。でもごはんはうまい。場所は東山の方。
■舞妓だー
思わずデジカメのシャッターを切っていたが、この人たちはどうやら素人さんみたい。こうやって舞妓の格好して街を歩けるサービスがあるんだって。また出し抜かれた。
■高台だから高台寺
高台寺では頭から三重塔が生えてきた。おしゃれだ。
漢字の通り高台になっているからこういうこともできるのだ。この寺は苔がいい感じであった。能面展示会もやっていた。能に1ミリだけ興味を持てた気がした。
■霊山は幕末志士の墓のはずなのに・・・
高台寺からさらに坂を上ると坂本龍馬を初めとする幕末志士の墓がある。漂ってくる濃ゆいにおいは既に坂の途中にある柵から感じ取れた。右翼系の団体が寄贈した柵。一本一本に○○聯隊とか何とか愛国会とか銘打ってある。
そしてパール判事。戦後の極東軍事裁判で日本の戦犯達の無罪を主張した判事。教科書で聞いたことある。その人を讃える立派な肖像がステレオ音声解説付きでまつられていた。
また、上のような銀色の板があったり、特攻隊員の名前も彫ってあったり、九段下から徒歩3分の神社と共通する何かがある。何しにきたのか忘れかける。
坂本龍馬の墓参りだった。中岡慎太郎の墓と並んで龍馬の墓はあった。龍馬はすごい人気で、そこかしこに龍馬へのメッセージが書かれた石版(1000円で売ってる)が置いてある。要約すると「龍馬のようになりたい」という決意文がほとんど。みんな武田鉄矢みたいになるのかな。
ここはかなり見晴らしのいい場所で京都の街がよーく見える。美しい京都の街に一人の観光客がシルエットとして写りこんでしまった。見事なまでにシルエットだ。
これらの墓石は全て長州藩の幕末志士。壮観である。こういうの不思議とじいーっと眺めていられる。多忙な観光客だからあまり長い時間取れないけど。作家ってこういうの見ながら妄想を膨らまして創作しているに違いない。墓はいいな。
■コンビニも京都風
■宿が面白い
宿は一軒家で純和風。ものすごく天井が低くて江戸か明治位に建てられた感じ。やたらと掛け軸や置物があったりした。日本好きの外国人を喜ばせようとする意図が感じられる。
「長生」という直球メッセージの書もあった。
■次の日は鴨川を登って上賀茂神社へ
鴨川を自転車で遡れば(下っても)分かると思うけど、京都は都市部と田舎部(というか緑が多い部分)が隣接している印象。さっき迄祇園の中心街にいたと思ったら、いつの間にか緑がいっぱいになっている。東京で例えれば、銀座にいたのに少し自転車を走らせるだけで多摩に来ちゃった感じ。
上賀茂神社。
白い馬がいた。
ここにいろんな神様がいる。
お参りした後、五百円払って、中で説明を聞くことにする。
神社の関係者が平安時代の服と烏帽子を身につけて、口達者に説明してくれた。
曰く、この由緒ある上賀茂神社は世界文化遺産に指定されているが、それは40いくつある建物のうち、本殿と権殿2つだけである。したがって国からの補助金はこの2つに大してしか支給されない。しかし神社とは元来21年ごとに建て替えるものであり(伊勢神宮は20年だそう)、それが7年後に迫っている。その為の費用はとても補助金なんかじゃ足りない。だから我々が知恵を絞ってその費用を捻出しなければならない。それでも全建替えはできず、檜の皮による屋根の葺き替え(費用10億円)しかできそうもない。上賀茂神社は桓武天皇の時代にできたそうだが、今建っているのは江戸の終わり頃に徳川幕府がポンと建て直してさしあげたものだそう。今だと(安倍政権がボロボロだからという理由ではなく)政教分離がなされているから、政府は公共事業のようにポンと出したりできないんだって。
そこでこうして有り難い本殿や権殿を一般peopleの網膜にも写すことを許しているのだとか。明治時代だと公家までしか見れなかったんだとか。
とにかく7年後に屋根を檜の皮で葺き替える為に必死な訳だ。それで檜の皮に1000円もしくは2000円(皮の大きさが違う)出してメッセージを書けるという商売までやっていて、僕はついうっかり1000円出して檜の皮の裏に「繁栄!」なんていうエゴが強く、且つ、抽象的なメッセージを書いて提出した。7年後の屋根吹き替えのときにニュースで報道されるのが楽しみになった。多分10秒くらいのニュースだろうけど。
■天下一品へ
上賀茂神社のあと、相国寺に若冲という人の絵を見に行ったのだが45分待ちだというのでやめる。
その代わり、天下一品のラーメンを見ることにする。
ところが、やっと探し当てた天下一品は日曜定休。中は見れないとのこと。
仕方なく別の天下一品を探していると、思いもかけずさざれ石が見つかった。
「さざれ石のいわおとなりて」の「いわおと」って長い間「岩音」だと思ってた。そうではなくて「巌となりて」なんだよね。というわけで、巌となったさざれ石です。いのししを祭った神社にあります。
そしてえらく時間をロスしながらやっと見つけた天下一品京極店。半地下でせまい。客の入り口も従業員用としか思えない銀のドア。
苦労して辿り着いた天下一品のラーメン。鑑賞した後は食べてよいとのことだったので、食べてみた。東京とほぼ同じ味だった。
■伏見の寺田屋は商売上手だと思う
レンタサイクルを返して、京阪線に乗って伏見へ。関西の私鉄に少萌(少し萌える)。
寺田屋事件で有名なあの寺田屋。薩摩藩の指定宿だったそう。寺田屋事件の詳細はウィキペディア参照してもらうこととして、ここで面白かったのはガイドさんと弾痕と経営ぶり。
ガイドさんは小柄なおじさんで、その熱弁振りが面白くて印象に残った。全体を見渡すようにして首を左右に動かしながら説明するのはよくあるが、この人の場合は左右に歩きながら説明するのだ。全員に満遍なく教えたいのだろうが、小さいおじさんが一生懸命ひょこひょこ歩きながら説明する姿は少し滑稽である。その滑稽さに胸を打たれずにはいられなかった。
弾痕は小柄なおじさんではなく、竜馬が鉄砲で撃った弾丸の跡とされるものである。
みんなが触りすぎて、つるつるになっていた。そのつるつる具合に胸を打たれずにはいられなかった。他に刀の跡もあったが、こちらもつるつる。木ってこんなにつるつるになるんだ。発見である。
寺田屋にて。
最後に経営ぶり。16時をまわった途端、夢の時間は終わりよとばかりに追い出された。なんてドライなんだろう。僕はピンと来た。チェックインの時間なんだろう。ここ寺田屋は見学スポットとしてのみならず、いまだにきちんと泊まれる宿なのだ。見事な二束のワラジ。その24時間営業ぶりに、胸を打たれずにはいられなかった。
■秀吉がつくった伏見の運河で小船に乗りたかったけど、時間がなくて無念
これに乗りたかったんだ・・・。
でもこの辺はすごく雰囲気がいい。ありがとう秀吉。
■寺田屋の近くにあったお店
竜馬が泣くぞ。
終わり